4月29日(月)は、プロギタリスト 助川太郎 さんをお迎えして「音ハーブ」音楽会を開催したよ。ほんとうに、とても良い時間だったよ。音楽特有の「音」による「波」が、体に、心に、響いて、細胞をマッサージしてくれているようなそんな感覚なんだ。とくに今回は「生音」だったし、アンプ(増幅)されたスピーカーからの音じゃなかったことが、聞き手の「耳を傾ける」という行為に特別感を与えてくれたようにも思ったよ。

 

さて、今回はこの音楽会を通してボクが考えたことを書こうと思うよ。

 

みんなは

「伝えたい」と思った時に伝えることはできる?

「伝わりたい」と思って伝わったことはある?

 

この「伝えたい/伝わりたい」っていうのは、ほとんどが「気持ち」のことだと思うんだ。ボクはいま「文字」を通して伝えているよね。ほかにも伝え方はあると思う。それこそ音楽だったり、ほかには料理だったり、ファッションだったり、プレゼントだったり。おしゃべりがいちばんおおいのかな。ある歌には「しあわせなら たいどでしめそうよう ほら みんなで てをたたこう」とあるよね。

 

今度は逆に「伝わりたい」って思った時に、みんなはどうやって「伝わったよ」っていう気持ちを表すんだろう。料理を食べたら「おいしいね」とか、プレゼントをもらったら「ありがとう」とか、こんな感じかな。

 

こうやって「伝えたい/伝わりたい/伝わっている」っていうことを考えていくとさ。伝えたい人はわりと多めじゃない?自分のことをわかって欲しい、話を聞いて欲しい、苦しみや喜びをわかって欲しい。一方で「伝わりたい」とか「伝わってますよー」っていうのは、割合としては少ない気がする。

 

仮に素直に「いいですねー」と相手に言葉で伝えても、「ほんとうかな」「偽りじゃないかな」「他に目的があるのかな」なんて疑心暗鬼になりやすい気もする。伝えたはずなのに、伝わってない。心に響いていない。結局は、すべては虚像で、だれとも分かり合えない、なんて深めのダークサイドな気分に陥りがちだよね↓。

 

こう考えると、伝わっているかどうかは、伝えた側本人の気持ち次第、っていう気もするよね。だって、そもそも「気持ち」なんてよくわからないものだし、それがそのまま伝えられたかなんて本人すらも確証は持てないだろうし。もしくは100%伝えられたとしても、そのまま伝わっているのかも不明だし、(勘違いして)100%以上に受け取っちゃう人もいるかもしれないよね。

 

まぁ、こういう「伝えたい/伝わりたい/伝わっている」問題はきっと昔から考えられてきているのだろうけど、これらを考える上で、2つの「杖」を書こうと思うよ。

 

まず1つ目の杖。

アドラー心理学で有名なアドラーさんは、こんなことを言っています。

「馬を水辺に連れて行くことはできるけれど、水を飲ませることはできない」

これはねー。

ボクもいろいろな場面で思い出して考えるんだけどね。

なかなかねー。

わかってはいるんだけどさぁ。

たしかにそうなんだけどさぁ。

おいしくのんでほしいんだけどねぇ。

飲みたくない人に飲ませてもねぇ。

飲んだとしてもおいしいかどうかの真偽はわからないしさぁ。

物陰から飲んでいる姿を一人一人確認するのもねぇ。

しかも「おいしい?おいしいでしょ?」って問い詰めるのもねぇ。

 

 

そして2つ目の杖。

これは平成から令和に変わっていくときに、上皇陛下の特集をしていてね。

「心を寄せる」

ということ。

あのお姿こそが、まさにボクたちが求めている答えであり、行動であり、態度であり、伝わっていると言う証(あかし)なのかもしれないなぁと思ったよ。そういう意味でも日本の象徴として、ボクたちが目指すべき姿なのかとも思ったんだ。

 

 

と、書き進めているうちに思ったんだけど、商人の場合は「また買ってくれた」っていうのが、「伝えたい/伝わりたい/伝わっている」問題の1つの答えのように思ったよ。

 

音ハーブはその場で癒されて「ふわぁ〜」ってなったけど

その余韻でこんなことを考えちゃって。

 

改めていい時間だったなぁと思ったのでした。