Degi Hari

 

「やっぱり蕎麦屋はいいよなぁ」といいながら、相席になった向かいの人は「うな玉丼セット」を食べていた。蕎麦屋がいいなら、丼物のセットじゃなくて、蕎麦をもっとたのしめるメニューを選べばいいのになぁなんて思いながら、ボクは盛り蕎麦の大盛りを食べていた。ほんとうにおいしい蕎麦は、そばつゆや薬味がなくてもじゅうぶんおいしい。蕎麦の香りだけでたべきれるような気がする。そうはいっても、人気店のココの蕎麦屋は、そばつゆだってこだわっているんだから、蕎麦とつゆの相性をたのしみながらすすっていくのが、なんともしあわせな気分になる。店内に響く蕎麦をすする音もまた愉快だった。

 

店を出てから駅ビルにある書店へ向かった。気になっていた本があったからだ。端末で本の場所を調べてから、目当ての本を手にして、ざっと内容に目を通してみた。「一汁一菜でよいという提案」というタイトルはだいたんで、救いのあるような言葉にも思えた。毎日豪華な食事じゃなくていい。味噌汁と、漬物と、ごはんがあればいい。それ以上なにをのぞむのか?と問いかけられているような気持ちにもなる。著者は料理研究家を名乗っているが、そこらへんの料理研究家の料理本とは一線を画していた。その大きな理由の1つは、料理の写真がすくなく、ほとんどが文章が占めていることだ。これは料理レシピ本というよりは、料理や食事の哲学本だということなんだろう。どれ、その提案とやらの話、ちょっと聞いてみようか、というような気持ちになって、レジへ向かった。

 

あれから、影を踏んでいるときは音が聞こえにくくなってしまった。だから、だれかと会話するときはまず影の位置を気にしなければならなかった。幸運にも、たいていのレジは明るい照明がついているから、音が失われることもなく、日中の日常生活にはあまり支障がなかった。日が落ちて夜になると、影の世界がやってくる。ボクには音が失われた世界がやってくる。照明の少ない夜道を歩くと、音は身を潜め、静寂がやってくる。街灯の光に照らされた場所では音が戻ってくるけれど、どうせ車の音の騒音ぐらいだから、それほど不便はなかった。最初は音がないと気配を感じるのが難しくて、人とすれ違ったり自転車が来た時には不意に驚いたりもしたけれど、コツを掴めばそれなりに気を配れるものだった。静寂の夜は、意外と心地よかった。みんなも、夜になったら音が消えてしまえば、もっとおだやかな時間を過ごせるのになって、思ったりもした。カエルの合唱や鈴虫のオーケストラが聞きなくなったら、明かりを灯せばいいんだから、そんなに不便はないと思うんだけど。